20年くらい前に仕事でスペインのバルセロナに行きました。画像のサグラダファミリアも左側の
淡い色の部分はまだ影も形も無い頃で、この画像に似た完成予想図をお土産とか売ってるお店の
絵葉書で見つけて、えぇー!こうなる予定なの?まだまだじゃん…と驚いたのをよく覚えています。
今思えば、20年であれがこうなったのなら横浜駅の改装工事より速いかもな…などとも思いますがw



その時の仕事の内容についてはいつかまた書こうかと思いますが、今日は仕事の途中や終わった後、
少しの時間を過ごした通りや公園で印象的だったことを書きます。

バルセロナはスペインの中でも歴史的な建物や公園が数多くあり、旧市街地は丸ごと保存されている
ようなものです。とはいえ、そこで生活も普通に営まれていて、景観の保存と社会生活の両立のために
色々と気をつかった政策がなされていました。例えば、旧市街地では老朽化した建物を作り直す場合、
細かく設けられた基準をクリアしなければなりません。例えば建物の高さ。前に建っていたものと
同等で近隣と著しく違わないこと、これは世界各地でも同じような基準はあるかと思います。驚くのは
壁や窓の仕上げも真新しく見える近代的な形や色ではダメでクラシカルな装飾が施され色褪せたような
雰囲気のものでないとダメなのだそうです。そこまでするのか…。正直スペインを若干舐めていました。
日本でいう左官屋さんがみんな彫刻家のような仕事こなすのか、そういう形になったモジュールを持って
きて取り付けるのかわかりませんが、いくつか見た新築中のアパートなどは確かにそういう作業をして
いました。普通に作るよりもずっと手間もお金もかかりますが、そうやってでも景観をコントロール、
抒情的で魅力的な雰囲気を保っているわけです。バルセロナは有数な観光地でもあり、そういうことが
自分達にとって生命線でもあることにかなり早い時期に気がついていて、このようにしてきたのでしょう。

公園に行くと…、有名なガウディの手掛けた公園とかではなくて普通の公園ですが、そこにあるもの全て、
ベンチや街灯、噴水や手洗い、ゴミ箱に至るまで統一感のある手の込んだデザインがほどこされていて、
日本の感覚で言う「何の変哲も無い」ものはひとつもありません。いちいちデザインされていました。
そしてそこにいる人達はそうであることが当たり前のようにしていて、私のように珍しがって写ルンです
で色々撮ってるような人は誰もいませんw ここでは「何の変哲も無い」の基準が結構な高いレベルに
あって、そこに達していないものはもう存在しないも同じ、そういうことなのかもしれない…そう思って、
結構なショックを受けました。

こんな景色を物心ついた時から当たり前に見て育った人達に日本のデザインはいったいどう見えるの
だろう? 恥ずかしい…、到底勝てそうにない…。そんな気持ちになりました。
これはバルセロナに限らず、多分ヨーロッパの主要な旧市街地ではどこでも同じように敗北感を味わう
ことになるのではないかと思うのですが、日本の政策や教育がやってこなかった(やってたにしても
全然足りなかった)ことの結果が出ていて(街並みの景観も人々の感覚も)、これら諸々を覆すには
早くて数十年から100年以上、世代で言うと2~3世代かそれ以上はかかるのではないか、そう思えて
絶望的な気持ちになりました。そしてその気持ちは、残念ながら今もそう変わらず持ち続けています。 








向こうの街並みと日本の街並みを比べると、残念でもう…。