その1に続けて更に言うと、評論家とかジャーナリストの中で専門家っぽいことを言いたがる人が
一番たちが悪い、ということも付け加えておきたいです。
こう言う人達は本当の専門家に取材して話を聞いただけで彼らのやったことを理解した、同等の
知見を得た、自分もやれば同じことが出来る…と勘違いしてしまうようで、まぁなんというか、
ある種おめでたいわけです。
自分で書いててちょっと悪く書き過ぎかな…と思いますし、実際には本人達の口からそう言う
わけではないですが、言動がそんなふうに聞こえるということです。



そして本人が意識するしないに関わらず、自分を大きく見せたいのか、ポジションを守ろうとして
なのかわかりませんが、よく対象を見ることもせず、それゆえきちんと考察もせず、あたかも知見
に基づいた風のもっともらしい無責任なことだけ言う。注目を集めたいのか、エキセントリックな
言葉やキャッチーな言葉を好んで使いながら。
何か聞いた時の答えが早いのも特徴です。そうしないとカッコつかないと思うのかもしれませんが、
本当にできる人は慎重に言葉を選ぶので即答したり断言することはあまりないですし、むしろ
その言葉は期待するようなものではなくて、歯がゆくてあいまいに聞こえることが多いです。



おめでたい人達の中には、本当はわかっていないのに、わかってる風を装ってでたらめなことを
言う人までいます。これがまた困ったちゃんで…。
私が設計を担当していたあるプロジェクトで、技術解説等ではそれなりに高名な評論家が途中から
ミーティングに加わって、そういうもっともらしいことを言いだして…、あれ?この人ほんとに
わかってるのかな?何かとんちんかんなことを言ってるように聞こえるんだが…、と思ったので、
「おっしゃるようなものを実際に見たことはありますか?」と聞くと、なんだかうやむやなことを
言って、「…まぁそういうものですから。」と。一体何がそういうもんなんだ?と思うわけです、
こっちとしては。本当は「実際にそういう設計をして作られたことはありますか?」と聞きたかった
のですが、さすがにそれはちょっと意地悪な気がして、優し目の聞き方をしたつもりなんですけど…。
その後も少々我慢しながら話は聞きましたが、彼が話す内容で納得できるのは既知のことだったり、
ちょっと変わった(でもどうでもいい)ことだったり、みなさん「ほほぉ…」みたいな顔で聞いて
いましたが、結局大して意味のあることを言っているわけではない…。この人の本質というのは
こういうものなのか…、そういう人だったのか…。と、がっかりして少しあきれました。



そういう人とは、専門家であろうが有名人であろうが、ある種ドライに割り切って付き合うのが
いいです。その1でも書いたように「ああ、そうかもしれないですね。勉強になります。」
くらいのことを言って、その場を適当におさめてそのうち忘れてしまっていいです。
むしろ積極的に忘れたほうがいいかも、とさえ思います。これまでに私自身が実害を被ったり、
私のすぐそばで進められていたプロジェクトでそういう悪い影響を受けるのを目の当たりにして
きた経験…、簡単に言うと引っ掻き回された経験から言えることです。



そんな実害があるようなのはもちろん避けたいですし、そこまでではないにしても、その種の
引っ掻き回された経験が心の中で小さな嫌な思い出として残ると、自分でも気がつかないうちに
メンタルに影響することがあります。(無い人は良いです。うらやましいです)なんだか妙に
黒い気持ちが心に溜まる…。そんなばかばかしいことにならないようにするために自分で防御する
のがいいです。それが積極的に忘れる、ということです。プロジェクトにおける事実と新たに得た
知見とクライアントに感謝されたことだけ覚えておきましょう。
自分の健康管理というのはこういう面も含めて考えたほうがいいです。
一部の政治家のように図太い人はこんなこと気にもしないのかもしれませんが。



とにかく、言いたいことは何かというと…、
そんなものかな、それはちょっとおかしくないかな、どうも納得できないな…と思ったら自分で
納得いくまで調べて検討し直すことです。そうして出した結論に責任を持つ。それだけのことです。
無責任な人は結果に責任なんか持ってくれないし、結果を見てから、だから言わんこっちゃない…
とか、自分で言ったことと正反対のことを平気で言いかねません。場合によってはまわりの評判を
聞いてから意見を翻すなんていうあらわざを繰り出すつわものもいますので、そんなの相手にして
たら不必要に消耗するだけです。



その1の最後で書いた言葉をもう一度。
どうせ最後は自分で責任持つんだから、無責任な人達の言うことは聞かなくていいよ。
心配しないでいい。
20年位前の自分を含めて、プロジェクトのリーダーや主体的に進めていくような立場の、
比較的若い人に教えてやれるなら教えてあげたいと思うことです。




※各画像は2013年頃に作成したスケッチと3Dデータで本文とは無関係です





仕事にも言動にも、決断した結果にも、全て自分で責任を持つということ…。